「情報弱者」にならないために (2)

こんにちは、合同会社たいがの小西です。

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本日はもろもろあり、敢えて「情報弱者」にならないために」の続編を書こうと思います。

なぜ、これを書くのかと申せば「経営判断も含め、皆さまには「情弱」になってもらいたくはない、と考えているからです。
前回は心構えの話をしましたが、今回はもう少し具体的、基本的に、ということで。

「うまい話には裏がある」を忘れない

前回、「銀の弾丸はない、「メシア」は来ない」という記事の中で、クラウドサービスについての話をしました。そこでは、当初クラウドサービスを使っていたが期待された効果が得られず、むしろ「脱クラウド化」を図ろうとしている企業もある、というお話でした。

「クラウド破産」という言葉があります。要はちゃんと料金体系などを確認せず使った結果、高額な請求が来た、というパターンで、IT関連のメディアでも取り上げられています。
(「“クラウド破産”はなぜ起こるのか? 利用料金が想定外に高くなる理由」(TechTargetジャパン)や、3年前の記事ですが「知らない間に高額請求、クラウド破産にご用心」(日経XTECK)など)

クラウドサービスの本質は「使う側が、これまで大変な思いをしていたコンピュータの"お守り"(構築や保守運用)をクラウドベンダーに任せられる」ことですが、当たり前ですがクラウドベンダーも、そんな面倒な仕事をタダで請け負ってくれるわけではありません。

で、「あなたのその大変な仕事を請け負う代わりに、その分相応は頂きますよ」というストレートな話なら判りやすいのですが、敢えて?かどうかはともかく、正直、それが非常に分かりづらい料金体系になっているサービスがあります。
→私もIT技術者の端くれですが、本当に分かりづらい…料金サービスの見直しを専門領域とするコンサルティング会社さえあるくらいですから。

むかし「携帯の料金体系が分かりにくい」みたいな話がありましたが、それと同じですね。違うのは金額のケタです。特に大企業の場合は、システムに求める要求が厳しいですから、それを実現しようとすると、結果的にかなりの金額になってしまった、で「こんなはずじゃなかったのに…」ということになり、「やっぱ、"お守り"は自分たちでやろう…」ということで、脱クラウド化になるわけです。

また、クラウドベンダーはサービス提供の基準として「SLA」というものを一般には定めており、そこでは、故障などでシステムが止まった時の取り決めなどが記載されているのですが、これも「どのような場合に"故障"と言うのか?」など、しっかり読んで確認しないと「こんなはずじゃなかった…」ということになりがちです。

私は以前「中小企業・中堅企業における情報セキュリティ対策--スマホ、そして「無料」と称する"コスト"」の中で「無料のコスト」の話をしましたが、これも同じです。「無料」と引き換えに皆さまの個人情報を引き渡しているか、或いは、「無料だからサービスの保証なんか、しないよ」のいずれかなんですね。

これはクラウドベンダーが悪いとか、無料サービスを提供している会社が悪いとか、そんな話ではありません。
また、この例はITですが、別にITに限った話でもありません---テレビ通販などで「初回半額!」と言われてお試しで買ったところ、実はそれは継続購入が前提だった、みたいな話は、山ほどありますから、皆さまも身につまされてお分かりかと存じます。

つまりこれは、「うまい話には裏がある」というより、むしろ「うまい話」と考える利用者の方が間違っている、ちゃんと料金体系や決まり事をしっかり読み、研究しないほうが悪い、ということなんですね。少なくとも今の「契約社会」ではそういうことです

<ちなみに私は、中小企業様においては、業務効率化のためにクラウドを使った方がよい場合がある、と今でも思っていますが、それは「うまい話」ではなく、
「クラウドサービスを使うことによるメリット」と「自分たちでサービスを構築したりお守りをすることの手間」+「サービス利用料」
を投資対効果・費用対効果という天秤にかけた上での話です>

ですので、判断に際しては「うまい話には裏がある」を常に念頭に置いておくこと、これが情報弱者にならないためのひとつのポイントです。

「欺く」ことは構造的である

私はこのコロナ騒動の間、完全に大手マスコミは「恐怖を必要以上に煽っているな」と感じました。これは、以前の記事「悪貨は良貨を駆逐する---コロナ騒動におけるマスコミの報道」にも書きましたが、あまりに一方的な情報に偏り過ぎていたからです。

さて、私たちは(もちろん私も含めて)、大企業や大手と言われるところに、なにがしかの安心感を感じるのは事実です。そこには「大企業や大手と言われているところは、悪いことをすれば社会的影響も大きい、だから、そんなことはやらないはずだ」という前提があるからです。

が…過去を振り返ってみても、それが当てはまらないことは一目瞭然です。以下を見ても明らかではないでしょうか?
(いずれもwikipediaより(しかし、こうした事件をまとめているwikipediaは、ある意味、さすがですね(苦笑))

こうした事件があったときには、私たちはそこで摘発されたり告発された人が「悪意を持って行った」と考えて終わりがちです…実際、そういう人たちがいるのは事実です。しかし…本当にそれだけでしょうか?

私は昔、大きな会社に勤めていた時代がありましたが、そこで大いに「忖度」をしました。いわく
「こうしたことを言ったり書いたりしたら、上司や同僚にどう思われるだろう?」とか「この表現は、お客さまを批判することになるかもしれない、どうしよう…」などなど。

これは私が「勝手に」自分の会社なり職場やお客さまの空気を「読んで」、そうした空気に「差しさわりがないように自制」していたのです---「自制」した結果、さらに会社やお客さまに有益でないことはもちろんのこと、逆に将来的には不利益になることがわかっていながらも…
(私は当時、銀行で融資担当、いわゆる「金貸し」とやっていた時がありましたが、かなり緊迫した場面で、こうしたギャップによく苛まれたことを正直に申し上げます…)

こんな私が、仮にこのコロナ騒動でNHKなり大手のマスコミの記者であり、個人的には「今のこの報道の流れって、やっぱ、おかしいよな?」と思ったとしましょう。
で、それを安酒場で心を打ち明けられる同僚に伝えます。その同僚も「ああ、俺もそう思っているんだ…」なんて答えたりして、一層疑念は深まります。しかし…上記のような「忖度」の心が働いて何もできない。そして、結局、他の記者と同様に「今日も東京で50人"感染"しました」なんて記事を書いてしまう…

こうしたことは、私には容易に想像できます。

もちろん、私たちはこの記者に対し「記者としての使命感がない!」などと批判することはできますが、翻って自分のことを省みると、本当に批判することができるのか…という問題に突き当たるのではないでしょうか?

少なくとも、この記者には「人を騙してやろう」という積極的な悪意はありません。ただ「勇気がない」だけです。で…そのような人が多ければ、そのために「欺く」ことは続けられるわけです。これは構造的な問題です。

もちろん、私はこの「構造」は変えるべきであり、私自身、非力ながらも多少の努力を今後も続けたいと思いますが(もちろん、自分が仕事なり、社会とのかかわりで「忖度」と向き合いつつ)、少なくともこのような構造を知ったうえで、大手や大企業と言えども信用できない、むしろ、大手や大企業だからこそしがらみが多い分「この構造は強固である」と考えるべきだと思います。

そうすると少なくとも「NHKだから、XXXだから、間違った報道・情報提供はしない」なんて「思い込み」はなくなるはずです。

まずは自分が受け取る情報を大手であるとか有名だからという「権威」だけでは丸のみしない、これが批判的思考を養う最初の一歩です。