「情報弱者」にならないために

こんにちは、合同会社たいがの小西です。

ようやく、アホみたいな非常事態宣言が明けて「さあ、これから経済と生活を再開するぞ!」といきたいところですが、またぞろ東京では「東京アラート」みたいなアホなことをやっているようで…小池都知事は、ご自身が専制君主となられる「東京国」でもお作りになりたいのでしょうか。
もちろん、私はご免こうむりますが┐('~`;)┌

※ちなみに、私は、日本政府については非常事態宣言を他国に先がげ解除したことは、非常に高く評価します。。
現在もアメリカ(注:アメリカは合衆国という特殊性がありますが)含め、他の国ではまだロックダウンが続いているにも関わらず、という点で。

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「情報格差」という言葉

ひところ、「情報格差」という言葉が、言われたことがありました。
情報格差(じょうほうかくさ)またはデジタル・ディバイド(英: digital divide)とは、インターネット等の情報通信技術(ICT)を利用できる者と利用できない者との間にもたらされる格差のこと[1]。国内の都市と地方などの地域間の格差を指す地域間デジタル・ディバイド[1]、身体的・社会的条件から情報通信技術(ICT) を使いこなせる者と使いこなせない者の間に生じる格差を指す個人間・集団間デジタル・ディバイド[1]、インターネット等の利用可能性から国際間に生じる国際間デジタル・ディバイド[1]がある。特に情報技術を使えていない、あるいは取り入れられる情報量が少ない人々または放送・通信のサービスを(都市部と同水準で)受けられない地域・集団を指して情報弱者と呼ぶ場合もある。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E5%A0%B1%E6%A0%BC%E5%B7%AE)

これは上記定義の通り、第一義的には「インターネット等の情報通信技術を利用できる者と利用できない者との間にもたらされる格差」のことを指していました。俗に「ITリテラシー」という言葉で言い表された内容です。

端的には、ITを使えないことによる機会損失/機会費用を「格差」として表した言葉であり、判りやすい例で言えば、あるモノに対し、近所の店であれば1000円かかるところ、WEB(ECサイト)で買えば配達料も込みで700円で買える、これはITを使えるか使えないかという観点で「格差である」という概念でした。

しかし、単にモノの取引だけではなく、人間が生活や仕事の上で種々判断する上で用いる「情報の質」ということに関してもこの言葉が使われるようになりました。
曰く、NHKや新聞・テレビなどの大手マスコミなどの情報に頼って生活や仕事をしている人と、インターネットを駆使して様々な情報源にアクセスした結果得られた情報による「判断」の格差です。

そして、この「格差」は、今回のコロナ騒動でも非常に顕著になったと思われます。
大手マスコミの情報を鵜呑みにする層と、インターネットを使って様々な情報源にアクセスした層の、コロナウイルスに対する捉え方、リスク判断の仕方は、個人的観点ですが、大いに違っていた、と感じます。

[注:但し、インターネットを使っても、大手マスコミの情報を2次情報として垂れ流すだけのWebサイトを見ているレベルでは、大手マスコミの情報を鵜呑みにする層とは違いはほとんどありませんが]

さて、これは上記の情報格差に書かれているように「ITが使えるかどうか?」の問題なのでしょうか?

判断に必要な情報を「能動的に取りに行く」かどうかで「情報格差」は決まる

正直、今はスマホを使うことが当たり前の世界なので、
「インターネット等の情報通信技術を利用できる者と利用できない者との間にもたらされる格差」
というテクニカルな格差を感じる人は、かなり少ないと思われます。
つまり、道具としてのITを使えるかどうかで「情報格差」が決まるとは思えません。

さて、人はどうしたときに「情報を求める」のでしょうか?もちろん、何かを判断するためです。

身近なところでは、購買物の費用対効果や、病気の治療法や健康法、また、経営と言う観点になると「効果的なマーケティング方法」や「今後の経営環境の見通し」などでしょうか。何にせよ、それは自分の生活全般や、企業運営全般の判断を行うためです。


で、その「判断」には「現状を正しく認識する」という判断も含まれます。さしずめ、今回のコロナ騒動で言えば
「大手のマスコミはこんなに騒いでいるけれど、本当に、そんな騒ぐことなのか?」
などとという事実認識のための情報収集です→最初の事実認識を間違えれば、後は全て間違いに通じるのですから。これは、一般の人でもわかる話です。

ポイントは「現状を正しく認識したい」というモチベーションです。
このモチベーションが強ければ強いほど、ある一方向だけの情報に「支配」されず、他の見方(パースペクティブ)を持つ情報も収集しようとするでしょう。
それが、たとえ、自分にとって、一瞬は不快に思うような情報であっても。

※人間は自分の知識や前提とは異なる=正確には、自分がこれまで刷り込まれた情報とは反対の情報に触れると「不快」になります。
しかし、その情報に論理的な妥当性があると判断でき、幾分かでも真実があると思えた時には、自分の視野だけでなく許容力・包容力も広がります。
つまり「いっときの不快な感情」(古い脳)VS「現状を正しく認識し視野を広げたい」(新しい脳)との戦いであるともいえ、

この戦いを継続させるモチベーションとなるのが「現状を正しく認識したい」と考える気持ちであり、これは、私が思うに、少なくとも現人類が持っているとされる「真実を求める意思」につながるものではあることは、言うまでもありません。
(少なくとも現代は、人類がこの意思を持っていることが前提で、民主主義などの社会の根幹ができています)

つまり「情報格差」とは、「真実を求める意思」というモチベーションの差に他なりません。
このモチベーションがあるからこそ、情報を「能動的に取りに行く」のです。

情報弱者にならないために

情報弱者の、何が痛いかと言うと「容易に洗脳される」これにつきます。
⇒「洗脳」がオウム真理教など、一部宗教の専売特許だと思われている方は、ナチスドイツや戦前の日本の例などの歴史を振り返ると、そうではないことが一目瞭然だと思います。そして、その中でも協力に洗脳された者は戦前の「隣組」の密告者です。

コロナ騒動の「隣組の密告者」は、いうまでもなくコロナ自警団でしょう。これが戦後憲法で保障された「個人の尊厳」に完全に抵触するものであることは言うまでもありません。はっきり言って「醜い」存在です。

(ちなみに…私は、大東亜戦争については全く否定的な見方をしていませんが、今はそれは置いときます)

まあ昔「自由からの逃走」という本がありましたが、日本にも残念ながら支配・洗脳されたがる層が一定以上存在することは、この状況を見ていると認めざるを得ませんが…


もし、皆さまが本当の意味で「個人の尊厳を持って生きたい」「情報弱者」として生きたくないとお考えならば、自分で情報を「能動的に取りに行く」ことが必要です。

今回のコロナ騒動は、こうしたことを考える(最後の?)機会の一つになると思われます。